5日目

仕事をしていく上で、わたしの苦手なものは、早起き、人間関係、他人に頼ること、この3つが特に苦手である。これから一緒に仕事をすることになった人がいるのだが、2回しか会ったことがないので当然ではあるが、どういう人なのか全くわからないのだ。どうせ仕事するなら仲良く楽しくやりたいとは思うが、いかんせんわたしのコミュニケーション能力は塵ほどもないので難しいと思う。要改善である。


中学生の時に、社会不安障害と診断されたことがある。当時は母親と心療内科にいくしかなく、途中から行くことすら母親に言うのも、そこの病院で先生やカウンセラーさんに話すことも、なんだかすごく迷惑なことなのではないかと感じていた。そして母親に心療内科に行きたいと頼まなくなり、いつの日か行かなくなったのであった。

いま現在も全くないかと言われたら、正直ないわけではないと思う。大人になりいろいろな経験をしたため多少は緩和された。が、未だに出る症状としては、回避性だけは全く薄れることがないと思っている。例えば、大事な発表や、大勢の前で何かをすることなど、人前に立つことは極度に嫌がり避けてしまうし、最悪の場合は仮病を使ってでも休んでしまう。人間関係についても、回避性が色濃く出てしまうので、嫌なことをされたら「わたしがいなくなればいい」という思考になり、仕事が長続きしないのだ。

なぜこんな話を書いたかというと、今回の仕事は長続きさせたいから、この回避性をなんとか抑えたいと、そう考える自分がいるのだ。

そもそもコミュニケーション能力の乏しい人間であるから、相手と仲良くなれるのかどうかはわからないが、最善を尽くしたい、そんなことを考える夜中なのだった。

相手はなにも気にしていない可能性(仲良くなりたいとかなりたくないとか、そもそもそんなことを考えたこともないのかもしれない)はあるが、うまくことが運ぶように努力したい。うまくいかないかもしれないが。

この仕事がうまくいけば、わたしはだいぶ生きやすくなると感じているので、がんばりたい。

4日目

1ヶ月程、投稿する気にもならずお休みをしていた。

4ヶ月ぶりくらいに入院してから、気力がなくなってしまったのであった。今回は憩室炎というもので11日ほど入院していたが、前回の入院よりは気が楽であった。

それでもブログを書く気にならなかったのは不思議だけれど、気持ちに素直に従った。

今日は突然ブログを書く気になったので書いている。



わたしは最近、憧れている女性がいる。スカーレット・オハラである。わたしはスカーレットとは真逆と言ってもいいくらい、性格は暗くて、この世の女性とはこうあるべきというものに縛られて生きてきていた。感情を素直に表現できるスカーレットにとても憧れている。

幼い頃から感情を表に出してはいけないのだと勝手な思い込みで生きてきたため、わたしはものすごく感情表現が苦手である。自分でもその時感情を出せなかったことに後になって気付いて悲しんだり怒ったりすることがよくある。とっさの判断で感情が出せない時があるのだ。

ここ数日はわたしはスカーレット!と思い込み生きているが、しあわせである。

これからも毎日わたしはスカーレット!と思い込み生きていく所存だ。


なにが言いたいかというと、感情を素直に表現できる人はとても魅力的であるということだ。

わたしもそんな人間になりたい。

3日目

私の苦手なものの1つに、早起きというものがある。本当に起きなければいけないが、夜寝付けない時はそのまま起きていて行動するということもあるほどに、不得意である。実は明日、早起きしなければならないのだ。しかし全く寝付けないため、困ってブログを書きはじめた次第である。



ここ最近は毎日のように、恋愛や結婚や孤独について考えている。私は少し変わった家庭環境で育ったことも影響していると思うが、結婚はしたいが子供を欲しいとは思っていない。人生を共に生きて死んでくれるのであれば、結婚という形でなくても良い。ただ子どもは欲しくないというのは今のところは変わる気配はない。


私という人間が1人で生きていくことは、限界があると思っている。そのためわかりやすい言葉で言えば配偶者は欲しい。しかし、私は子供を望まないため、その部分を理解してくれる人は少ないのだと、ようやく気づいた次第である。なので結婚ではなく、一緒に生きて死んでくれる相手を探している。



今日は取り止めもない思いで、まだ整理のつかない気持ちだらけだ。

そしてやっと眠気がやってきたので寝つこうと思う。明日の朝、起きれることを祈る。

2日目

人生ではじめて、占いに行ってきた。

四柱推命というものだったが、占いというよりは自分がどういう人なのかを理解したり、これから生きていくのに参考になるお話であった。

生きにくいと感じていたため、なんでこんなにもわかるんだろう?と不思議に感じたが、流石という言葉しか出なかった。



何か新しいことをするということは、流れが変わるということと思っている。そこまで大きくなくても、一石を投じれば波紋が広がるように、小さくとも必ず何か変化があるのだと思っている。新しいことややったことないことをしに行く時は緊張もするがとても楽しみである。それが今日は、占いであった。行ってよかったな、それが今日の感想である。

占いというものに興味はなく、適当にされることが嫌いなため自分で選ぶタロットならやってみたいと思ったことがある、程度のものだった。

最近出会った人から四柱推命が東洋人は当たる、と聞き、四柱推命をわかりやすくしたものが動物占い、とも聞いて、動物占いが好きだった私は気になったのであった。ちなみに私はオオカミである。気に入っている。



そんな些細なことだが、最近の私はそういった人からの影響を多分に受けて暮らしている。もちろん自分の中でやりたくない、興味がないと思うことはやっていないが、気になったことはすぐに行動したいタイプのため、影響を受けやすいのかもしれない。私は元来頑固なので、いい傾向なのかもしれない。嫌なことは一向に改善していかないのが難点である。ここについてはまだまだ改善の余地しかないところである。



帰りに薬膳カレーを食べるか迷って食べなかったことが今日の後悔である。

次こそは食べたい。



1日目

文章として自分の思いを残しておきたい。そんな気分になり書いている。人の文を読むのは嫌いではないと思う。しかし熱心に小説を読んだり、文を書いている訳ではないので稚拙な部分が大いにあると思う。

それでも、文を書きたい、何か残したいと、そう思ったのである。



私は元来、目立つのは嫌いな方であった。今もそうかもしれない。あがり症であるし、赤面症でもあったため、他人からどう見られるかをとても気にして思春期を過ごした。しかし心のどこかでは注目されたい、ちやほやされたいと、人並みに思ったり、夢に見たりしていた。

そんな私が全世界に向けて自分の日々を書き連ねたものを公開したいと思った、その動機がある。



何のために生きているのか、死ぬために生きているのか、孤独が消えることは一生ないのか。心が凝り固まってしまい、どうしたらいいのか、そんな気持ちがとても大きくなったからである。

一人で生きていくのはとても大変であるし、誰かに愛されたいという欲求もある。しかし、一人で生きていく覚悟や準備が出来ていない現段階では、なにもかもが中途半端で流されて終わってしまうのではないか。それでも人と交流することをやめたくはないし、やめられないだろう。私自身が流されない為にも、自分が弱くなったときに見返す為にも、文を書き残しておこう、そう思ったのである。


26年間生きて、人生経験も豊富ではない。ぬるま湯で生きてきた人間ではあるが、誰かに読んでもらえたら幸いである。

この場では素直な自分の心を書き留めて行きたい。